美濃和紙の起源は、奈良時代、仏教の普及により写経が盛んになったころだといわれています。その写経用の紙に一部美濃和紙も使われ、正倉院文書の中に美濃紙経が記されております。毎日新聞社「手漉和紙大鑑」によると、大宝2年(702年)「美濃、筑前、豊前3国の戸籍簿断簡(正倉院文章中に現存)であり、いずれもそれぞれの国府で、所属の製紙工に漉かせたものである。」とあります。これらの情報から美濃和紙は、少なくとも1300年以上の歴史を有するものと考えられます。
平安時代に製糸業が発達、美濃は紙の原料である楮(こうぞ)を、他の産地を大きく引き離した量である600斤(約360㎏)の年貢を差し出しています。美濃和紙は江戸時代にも受け継がれ、明治時代は製紙業が激増しました。しかし、その後の濃尾地震や不況、太平洋戦争による物資、労働力不足等が美濃和紙生産に大きく影響を与えました。
石油化学製品の進出は大正末期から紙業界の大きな課題となり、昭和30年台には生産者数が1200戸あったのに昭和40年には500戸に激減、その後も減少を続け、昭和60年には40戸となりました。伝統を受け継ぎつつ手漉き和紙の振興をはかるため、昭和58年、美濃手漉き和紙協同組合を設立、昭和60年には国から伝統工芸品に指定されました。
平成26年11月、美濃地方で特定の材料、漉き方によって区別された「本美濃紙」が「細川紙」「石州半紙」と共に世界文化遺産に登録されたのは記憶に新しい。
これからも美濃和紙の伝統を後世に継承する為、日夜職人が腕を磨いています。